輸出していた日本のお茶
1853年、 浦賀へアメリカからペリー艦隊が黒船に乗って来港しました。 当時、日本は鎖国していました。
1858年、日米修好通商条約が結ばれて日本の鎖国が解かれて日本の西洋化が始まりました。
この頃、欧米各国では紅茶を中心にお茶の需要が急増していました。 ですから、日本からもお茶が輸出されました。 この需要に答えるため、日本では牧之原台地を開拓して茶が植えられたのです。 明治以降、静岡で作れたお茶は横浜港に集められてアメリカを中心に輸出されました。 後に、清水港がお茶の特別輸出港に指定されました。 お茶は茶箱で輸出していました。 茶箱には蘭字ラベルが貼られていました。
アメリカで紅茶が普及したので、日本緑茶のアメリカへの輸出量は減ってしまいました。 日本でも紅茶が作られていましたが、アメリカではインドやスリランカの紅茶が普及しました。 大正になると日本茶は主な輸出品ではなくなりました。
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