牧之原台地のはじまりは?
現在の牧之原台地は一面が茶畑です。 でも、江戸時代は雑木林や原野でした。
・明治維新(1868)で江戸幕府が倒れたので、多くの武士が職を失いました。 これをみた勝海舟らの尽力で、荒廃した牧之原台地へ武士達が開拓に入りました。 江戸から来た武士に1455ha、職を失った大井川川越人足に202haの土地が払下げられました。
しかし、武士にとって刀を鍬に持ち変えての開拓は厳しいものでした。
・なぜ牧之原台地に茶が植えられたのか? 牧之原台地には水が豊富に無かったからです。 茶の木はそれほど水を必要としないので、牧之原台地でも育ちます。
そして、牧之原台地の土は弱酸性なので茶の栽培に適していました。 さらに、当時の日本では輸出向けの茶の需要が多かったのです。 ですから、その後も牧之原台地には茶の木が植え続けられました。
やがて、今の様に一面茶畑の牧之原台地になりました。 これがきっかけで、静岡県は茶の大産地になったのです。
・当時の製茶方法 明治6年。 牧之原台地に植えた茶の木で、初めての茶摘みが行われました。 当時は製茶機械が無かったので、摘みとった茶葉はすべて手で揉みました。
・輸出されたお茶 その後、牧之原台地で作られたお茶は海外へ輸出される様になりました。 輸出用の茶箱には蘭字ステッカーが貼られていました。
・・・・・
今では大型重機が入るので、広大な牧之原台地を鍬で開拓した明治時代の武士達の苦労がわかりません。
|